4月3日

禅のYouTubeを見て出勤。覚悟していたけど、思っていたよりよっぽどひどかった。ゴミを見るみたいな目。あまりの落差にさすがに心が折れる。自分のせいだ、自分のせいだ、と言い聞かせても半泣きになってしまうくらいつらい。私も同じようなことを人にしてきたんだろう。当然の報いだ。心の底から反省していたつもりなのに甘すぎた。後悔やこの先のことを考えてどうしようもない気持ちになる。楽しかったことも努力してきたことも苦しんできたこともたくさん捨てたことも、全部全部無駄になったんだ。自分のせいで。仕事が忙しいのが救い。気を紛らわせるために残業をしたいくらいだけど、かわいいかわいいシピちゃんが家にいるから定時で退勤。定期を買いにわざわざ大きな駅に出る。学生や、いかにも新入社員の真新しいスーツを着た人たちがたくさんいる。大行列。会社の人に定期何ヶ月で買ってますかとLINEで聞いてみたら、在宅してるけど買うの?という話になり、計算してみると確かに買わない方が安い。とりあえず列を抜ける。なんだかもう疲れ切ってしまった。せめて大きな駅に出てきただけの意味を、と思って百貨店の地下に向かうも、食べたいものが何も思い浮かばない。不思議と泣き叫びたくなるような気持ちにはならない。ただただ疲れていて、それを流しながら穏やかに、大丈夫だから、自分はやれるから、耐えなければ、と思う。でも、今日は良くても、あと何週間、何ヶ月、ゴミを見る目で見られ続けないといけない?私をわざと傷つけるための優しさに悲しまなければいけない?また幸せだったときの夢に魘されるのか。起きた瞬間指先が冷たくなっていく日々から抜け出せないのか。会社では手が震え、心から動くことができなくなって、嘘をつくために嘘をついて、泣くことを耐え、どこかへ行きたいとも口に出せないまま、そうしたら私はどうなっていくんだろう。1年後には迷わず移動できるだけのお金が貯まる算段だけど、失敗したときと同じように、逃げ道を本当の望みかのように最後に残している。それは反省していることになるんだろうか。帰ってよくわからないものを食べながらビールを飲んで、シピちゃんと少し寝て、起きてベッドに潜ってこれを打っている。今日はよく頑張った。大丈夫。明日はもう少しだけ前向きになれているように。他人の評価は己の価値ではない。大丈夫。