1月21日

午前中は父が家に来る。30手前の娘の一人暮らしの家にわざわざ来るところが本当に馬が合わないが、もう諦めている。シピもいるし来たがるのも仕方ないだろうとなんとか自分を納得させる。仕事と思ってこなして、昼ごはんを食べて、京都に向かう準備。出発ぎりぎりまでシピちゃんと遊ぶ。直前まで膝で眠っていて愛おしかった。夜に友人が様子を見にきてくれるというのでなんとか気持ちを保っていられる。

15時頃に出発。京都に行くの、いつぶりだろう。去年の夏、結婚に疑問を持ち始めたすぐくらいに、会社の用事で京都に行ったついでに安井金比羅宮に行った。あの石をくぐるのは怖かったのでお参りだけにしたけど、結局すぐに離婚したので効果があったというか、切るべき縁だったのかもしれない。わからない。山科で降りるといかにも京都な風景で楽しくなる。普段と違う景色を見ることで現実を忘れたり、新しいことを考えられたりするから旅行が好きだった。今は6畳の和室の中でも毎日新しい発見ばかりだ。シピの鳴き方で何を求められているのかわかる。はじめての声だったり、はじめての動きだったり、彼女は毎日成長する。自分はシピに一体どれほど救われているんだろう。久しぶりのオークラ。叔母と祖母に挨拶して、ばたばたとしているうちにルームサービスが届く時間。祖母は90いくつになったというのに食欲もしっかりあるし、お酒もなかなかの量を飲む。ボケたり耳が遠くなったりもないし、血圧も平均値だし、素晴らしいことである。私は隔世遺伝で祖母に似ているから、元気に歳をとっていくのかもな、と嬉しいような嫌なような複雑な気持ち。最も美しい時にぱっと一瞬で死ぬのが夢なのだが。離婚してから初めて会うので何か言われるだろうと踏んでいたのに、さすがに触れてはいけない話題になっているから逆に申し訳なかった。私の親類は全員我が強いというか個性的というか、いわゆる一般的な家族像からは離れていると思う。大体協調性が欠如している。まったく普通の家族ではあるのに、でも普通の家族というのが私にはわからない。母と叔母が話しているのを聞きながら、自分は1人で生きていかなければいけないのだという考えが深まっていく。母はきっと私より先に死ぬ。この世から先に逃げ切ってしまう。ずるいと思う。私だってもう生きることを諦めたいのに。それでも今までのような絶望的な気持ちではない。黙って受け入れて、諦めて、ひとつひとつやっていくしかないのだという穏やかさが生まれている。誰のことも頼れないのだ。縁に辿り着き、私の世界にはやっぱり他者がいないことをわかってしまった。でも私には私がいる。私が苦労して悩んで苦しんで泣いてもがいて手に入れたシピがいる。それだけでどれほど幸福なことかと今は思える。

 

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