1月5日

在宅日なので7時半頃まで眠った。シピに晩ごはんをやった時間が遅かったから催促の声もしなかった。両瞼が重くて気持ち悪い。和室に姿を見せるとシピが鳴き始める。ご飯をやって、それ以外何をする気も起こらず二度寝して、8時40分にタイムカードを切るために目覚めると、母から今日は家にいるのかとLINEが入る。在宅日と返すとシピの世話のために出発してしまったらしい。戻るわーと言うのでごめんと送ってから、面倒でなければ来てくれたらとお願いする。身体を起こす気力も出ない。1人でいれば泣き腫らして1日を終えてしまいそうだ。誰かがいてくれたほうが心強い。結局人に甘えてしまう。布団の中でメールチェック等をして過ごして、10時頃に母はやってきた。シピを放牧しながら自分の朝食を食べたり、和室を整えたり、ダイニングを整えたり、色々と相談できる相手がいると結局は心が穏やかになる。私は私の本当の望みを見て見ぬふりしながら長い間生きてきて、一瞬だけその望みを認めて、また見ないようにと同じ場所に戻ってしまっている。デッサンをするときは全てをひらかなければいけなかった。それはあまりに危険な行為であるから守られた区域でのみ実行され、己の理想を素直に認めるのはその時間だけであって、だからこそしあわせだった。私はこの行為を、本当のものを手に入れたいのなら、今度は石膏像ではなく人間に対してまた行わなければいけないのだと思う。それが生死に関わってくることを私は知っている。歩き続けて淵に辿り着き、求めるものが決してこの世に存在しないことを理解したとき、最後に残ってしまう道を知っている。人間をまっすぐ見なければいけない。こんなに恐ろしいことはない。でもそうすることでしかもう、望みは手に入らない。

12時に合わせて近くのホームセンターに母と買い物に出た。1パウチ220円のロイヤルカナンを見て、大笑いしながら購入する。早くカリカリに移行してくれないと破産だ。家に戻って、昼ごはんを食べながら正月に好きなアイドルが出ていたドラマの見逃し配信を見て、14時頃に母は帰っていった。和室でシピをあやしながら大したことのない仕事の電話を1本だけして、膝で大人しく丸まったシピを見ながら私もうつらうつらと眠る。18時から動物病院。かわいいかわいいと持てはやされるシピを見ていると勝手に誇らしくなってしまう親馬鹿。数値も許容範囲内の上昇ということで、2週間の内服薬が追加された。帰宅してお風呂に入って、自分のご飯を作っているとご飯を催促される。チンするのが面倒でパウチの上にカリカリをそのまま振りかけて出してみたらぱくぱくと食べている。1時間ごとに成長していくこねこ。夕食後シピを膝に乗せてYoutubeを流すと、やっぱり一緒になって画面を見つめていてかわいらしい。ねこはいつもねこそのままの命で私に向かってくる。だから彼らはその生涯すべてが美しい。そうして私も多分、応えるようにそのままの命でねこに向き合っている。全てをひらくことを許される、やっぱりそれはとてもしあわせなことなのである。