12月16日

ねこである。口を開けばねこである。思考の全てがねこに占拠されていて日記を書く暇もない。ねこは実家にいる。私は今日泣く泣く自分の家に帰ってきている。引っ越しに際し、やらなければいけないことが山積みなのだ。それでも不安すぎて片時も離れたくない。

昨日13時頃にねこが吐いたと連絡があった。14時には有給を取って、退勤後に予約していた美容院もキャンセルして、電車に飛び乗っていた。帰宅してストーブの前であたためられているカゴからねこを取り出して抱っこすると、腕の中でぬくぬくと嬉しそうに眠るので気が抜ける。名前を決めかねていたけれど、名前をつけてこの世のものにしなければいけないのだと思った。いくつかあった候補から「シピ」と名付けた。呼んでいて一番しっくりくる名前。わがままな女の子。シピが目覚めるまで1時間ほど待って、実家近くの病院に連れて行って、疲れだろうと言われたのでよく寝かせるようにしている。一晩同じ布団で眠った。深夜にシピが腕の中でもぞもぞ動くたびに、シピの体温に安心した。途中遊びたがって、布団の中から顔面に向かって飛び出してくる。シピは黒いねこだから、暗闇の中にいては動きが見えないのだ。同じ部屋で眠る母を起こさないように、声を殺して笑った。手にじゃれつくのを無視して私が寝たふりをするとそのうち諦めたように眠る。本当に母猫になった気分だ。

今日は在宅日。家の近くのお寺に朝一番お参りに行った。同じお守りを2つ買って、ひとつはシピのケージに、ひとつは自分の鍵につけた。人間は勝手なものである。勝手に腕の中で眠らせては安堵する。勝手に神に祈っては安堵する。当のシピは元気そうだ。肩によじ登るコツを掴んだのかスピードが増した。結構な高さの段差も危なげなく飛び乗るようになった。アレクサのカメラを繋いで、別の部屋にいる間は始終様子を確認している。この日記を書いている今も。シピがいなくなってだめになるのは私だ。今自分からシピを奪われたらと想像すると身体中の血液が冷たくなって、感じたことのない恐怖に襲われる。どれだけ気持ちを前向きに叩き起こしたところで、今年一年間戦って、実際私には何も残らなかった。何ひとつ手に入れられなかった自分にとって今、シピは唯一この手にしっかり落ちてきて収まった存在なのだ。唯一の未来なのだ。