11月20日

気分が落ち込んでいて不安になる。今の体調でこの落ち込み具合だと、薬が効果を出してくれるのか怪しい。この先悪くなる一方ではないか。結婚したかった。子供を産みたかった。幸せになりたかった。諦めきれていないのかもしれない。とても愚かだ。諦めることで軽くなるかもしれないけど、それは私にとって取り返しのつかない重さを意味する。マリーがそういったことを言っていた。あなたの音楽に救われた。希望と夢を見た。その無垢な光がルードヴィヒを苦しめる。僕はただ殴られないためにピアノを弾いていた。私はただ逃げたくて行動していた。誰かに人生の責任を転嫁したかった。努力したくなかった。考えたくなかった。削られたくなかった。自由でいたかった。そんな惨めな姿が周囲に見せた夢など、やっぱりまやかしだと思う。どうしようもなく孤独だ。何も持って生まれてきていない。何も生み出すことができない。残すことができない。ルードヴィヒもマリーも、次の世代に希望を託したのだ。自分もきっとそうすることしかできない。私ではもう戦えない。でもその希望も、その道も、その努力も、今の自分では見つけられない。誰とも繋がっていない。何も残せない。あなたに言われなくても、僕は今十分苦しんでいる。

睡魔に負けて何度も繰り返し眠る。その度に夢とも思考とも記憶ともつかないようなものを見て、泣き叫びながら起きる。誰もいない部屋が底抜けに恐ろしくなる。こんな風になるなら体調も精神も中途半端に戻らないほうが良かったのに。疲れ切っている方がゆっくり休めていたのではないか。焦りがある。どこか旅行でも行こうかと、そこまでは考えられるのにその先を計画するのが難しくて止まってしまう。予約とか、目的地とか、費用とか。年末年始の休みくらいしか時間はないし、東京なら頭を使わずに行けるけれど、美術館なんかは大方休館しているのではないか。それを調べるのも苦痛だ。

元気が出ないので『アシュラ』を観る。痛い描写は苦手だけど、韓国ノワールの表現は見ていて気持ちが良いし、どこか爽やかで笑えるから好きだ。22時頃、メルカリの発送のために外に出る。帰りに雨に降られながら、つらいのは幸せを完全に諦めきれていないからだろうと思い当たる。どうせ離れていくものだ。どうせ残らないものだ。どうせ何もかもうまくいかないのだ。どうせ手に入らないのだ。どうせ裏切るのだ。少しだって期待をしなければこんなにつらいことはないのだから、全部諦めてしまうのがきっと正しい。何が私をこんなつまらない人間にした?何が私にこんな悲しい考えを植え付けた?