11月19日

ガス屋が来るギリギリまで眠る。何かを食べる気が起きない。洗濯機を回す。元配偶者に送る荷物の送り状と家の解約通知書を書く。コンロは以前と違う種類のものになった。新しくてきれいでおしゃれ。もう出ていく家。

ここ数日のことを思い出す。なんとかなるかもしれないと、少しでも安堵した自分を愚かに思って落ち込む。他人を信じたから失敗したのに、一体何を学んだのか。体調も悪くないし、精神が穏やかな時間も増えてきた。それでも結局自分は幸せにはなれないと思う。誰かと共に生きることもできない。最後には何も残らない。誰かや何かを少しでも信用することが、今はとにかく恐ろしい。きっと誰もが最後には手のひらを返す。誰の一番でもない自分。誰にも愛されない自分。言ったことを忘れ、気持ちを忘れ、全てを無かったことにして離れていくだろう。私は価値のある人間ではないから。誰とも繋がっていないから。手に入れられなかったたくさんの幸せを考えては悲しくなる。決して叶うことのない望みをどこまでも想像しては苦しくなる。自傷行為のような毎日を早く断ち切るべきなのに、どうすれば良いのかわからないままでいる。どのような希望も見つけられない。したいこともない。楽しいこともない。そうして完全に孤独であるから、自分が今何のために何をすれば良いのかわからない。体力が戻ってしまったので涙が出続ける。疲れる。もう嫌だ。生きているのも、死ねないことも、逃げられないことも、何かを考えるのも、この先ずっとひとりで生きていかなければならない現実も、全てがつらい。

何度も眠って起きて、時間になったので出かける準備をする。ミュージカル『ルードヴィヒ』。チケットを持たず不安なまま劇場に向かったけれど、問題なく観劇できたので良かった。今自分が見るべきものをしっかり見れているなと感じる。ピアノとバイオリンとチェロの生演奏に、演者の歌声に満たされていく。舞台の上で削られる命を見ては安堵する。夢はまやかしであり、夢を見たことを後悔する。光が強いほど影も濃くなる。どうしたって音楽を愛してしまうから、そこから逃げられず、死ぬことすらできず、永遠に孤独に苦しみ続ける。どうして自分をこの世に産み落としたのか。才能を授けてそれを奪うのか。それでもやりたいんだ音楽をと叫ぶ、悲しさと幸福と孤独。希望を希望と信じながら、諦めきれず進むしかない人生も呪いのようだと思う。夢を諦められないことを、だから周囲を欺いて生きる道を、それがどれほど切実な選択だとしても正しいと言い切れない虚しさ。愛は傲慢。人生は愚かさの比べ合い。